しずかのぶろぐ

割と暇な人生

味噌汁の匂い

ふと、無性に、子供に戻りたくなる時がある。戻れないとわかっていてもだ。

夕暮れ時アパートの階下から漂う、お味噌汁の匂い。
西陽に当たりながら取り込んだお布団。
陽が落ちたあとの数分間。
辺りに響く、公民館の放送。
遠くから聴こえる、吹奏楽部の音色。
頬を撫でる、昼間とは違う風。
蝉が鳴くのをやめるとき。

脳内で鮮明に蘇るノスタルジックな風景は、いつも夕方だ。

小学生だった私には、いつも、夕暮れの世界が待っていた。
公民館の放送が辺りに木霊し、陽が沈み、空の色がまるで温度計の様に暖色から寒色へ移り変わる世界に、私はいた。
空を見上げながら、自分はどんな大人になるのだろう、どんな素敵な未来が待っているのだろうと、思いを馳せたりした。

26歳になった私は、夕暮れ色に包まれることもなく、疲れ果て、暗闇の中、家路を急ぐ。
アパートの階下はもう夕飯を済ませたのだろう、味噌汁の匂いが漂うことはない。
ベランダに干した洗濯物は、夏の夜風に吹かれて冷たく湿気を帯びている。

帰宅したら、まず、風呂に入り、洗濯機を回し、合間に夕飯を作り、食べ、疲れきった体にビールを流し、労を労う。

アルコールが疲れを癒してくれるとは思わないが、それでも頻繁に飲んでる理由は、労を労うのはアルコールだという飲料・広告業界の影響なのだろう。

流し込むように夕飯を食べ、ビールを飲み、お腹が膨れたら歯を磨き、眠りにつく。そして朝を迎え、慌ただしく家を出るのだ。

毎日がこの繰り返しだ。


小学生の私が今の私を見たらなんというだろう。
ショックを受けるだろうか。
それとも社会人として立派だと褒めてくれるだろうか。
私の思い描いた大人は、どんな人間だったのだろう。
もう、思い出せない。

人間はなぜ、過去を懐かしむように作られたのだろう。
どんなに願っても過去には戻れないのに、戻れないとわかっているにも関わらず、懐古し、いま自分の置かれた現実を見て、嘆き、苦しむ。
滑稽な生き物だ。

夢などない。
目標もない。
ただ、毎日を生きている。

夢が欲しい。

夢があった、目標があった、あの頃に、
夕暮れ色に包まれていたあの頃に、
お腹が空いたら母が夕飯を作ってくれたあの頃に、

戻れないとわかっていても、

過去は美化されているとわかっているとしても、

無性に戻りたいと思うのだ。